【コラム 3】政治はやってほしい(青木理氏の言葉より)

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日曜日の朝のTBS番組といえば「時事放談」という年代は、高齢者に属するのだろう。昭和5年生まれの亡き父が毎週楽しみに見ていた記憶は鮮明だ。いまは同局の「サンデーモーニング」を欠かさず見ることにしている。「サンデーモーニング」といえば、当時の安倍首相ら官邸が総務省(当時高市大臣)に対して意見が偏っていると具体的に名前が出た番組である。この番組を自民党議員の多くは残念ながら見ていないのかもしれない。3月26日(日)の放送では「袴田事件」にみられる冤罪の危険性について語ったジャーナリストの青木理氏の言葉に注目したい。

事件が発生し、逮捕された1966年は奇しくも青木氏の生まれた年ということで「いいかげん中年になった僕の人生と同じ期間袴田さんは拘留されていたこと、また30年以上死刑確定囚としてずっと死刑に怯えてきたことにより拘禁症状まででていた。無罪で本当に良かったのですが、これで終わりではなく、ここから教訓を引き出さないといけない。教訓とは、この事件は冤罪の典型的なパターン。取り調べで自白している。普通死刑になるような事件でやってもないことを自白することは考えにくいのですが、密室の取り調べがいかに過熱であったか。取り調べの可視化や弁護人の立ち合いが必要。また証拠ですが、付与した権限とお金を使って捜査当局がするもので、そもそも共有財産のはずが、再審段階でようやく証拠が新しく出てきて、その証拠がおかしいのではということがまたあった。証拠開示の在り方に問題がある。次に検察に抗告する権利を持たせるか。先進国では持たせていないところもある。刑事訴訟法、再審段階のあり方を見直す法改正が必要。そして死刑制度そのもの。半世紀の間に5人の無実の人が死刑宣告を受けている。死刑という刑罰は執行していたら取り返しがつかないものであり、いくら法律を整えたとしても人間だから間違いを犯すことを考えた場合、執行した時に取り返しがつかない不可逆な死刑を存置しておくべきなのか。世界の7割の国が死刑を事実上廃止している。死刑制度のありようも考えないといけない。皮肉なことに最近法務大臣が死刑の判子をついたときしか目立たない地味な役職という発言で更迭されたことがあったが、法務大臣を筆頭に政治が取り組む課題は山のようにあって、しかも目指すべき地平がある程度見えてきているのを肝に銘じて、政治はやってほしい」

G7議長国だからという理由もあり、先日岸田首相は戦地のウクライナに電撃訪問をした。同様にG7議長国としての日本が、人権に関してわが国の在り方が世界から問われていると感じないのだろうか。死刑制度の見直しを含め、難民問題、LGBTQなどの人権問題の解決の方向が、目指すべき地平と青木氏は訴えているのだ。与党自民党の議員を含め政治家や政治を志す人々にこの青木氏の言葉が響いてくれることを願う。政治はやってほしい。

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