【旅の記録、風の記憶】2025年6月 ロンドン~アムステルダム

雑記ブログ

2025年6月19日(木)21:45羽田発のトルコ航空で12時間かけてイスタンブール空港に到着。ロンドンヒースロー空港行きが約50分の遅れとなり、マックでコーヒーブレイク。3人で1,166円は日本の倍の値段ではありますが、納得の価格。無事ヒースロー空港に到着したのは現地6月20日(金)の午前10:14でした。娘の説明では、トルコ航空の利点のひとつに現地午前中に到着が多いとのこと。1984年卒業旅行以来のロンドンです。

ピカデリー線でホテルに近いラッセルスクエアに向かう予定で切符を購入してホームまで下りたところ、電車が大幅な遅延!別の路線をホームで案内されるというハプニングに出くわします。降りる駅(トッテナム・コート・ロード駅)ではその購入した切符では降りれない場面もありましたが、振替輸送と説明することもなく、何とかその切符で改札を出ることができました。やれやれ。

荷物を預けるために宿泊するロイヤルナショナルホテルに向かいます。街の風景は歴史を感じさせる建物が多く、建物には煙突が規則正しく設けられているところが印象的。ホテルは大英博物館やラッセルスクエアの近くにあります。

バッグを預け、13:30で予約していたホテル近くの「モンターギュ オン ザ ガーデン」でアフタヌーンティーと洒落込みました。本格的なアフタヌーンティーは初めてでそれも本場ということで、せっかくですのでシャンパンも頼み、至福のひとときを過ごしました。

15:20に予約した大英博物館はモンターギュの近くにあります。ナショナルギャラリー同様に入場は無料です。ギリシャ神殿風の外観や開放感のある中央閲覧室など展示物を見る前に既に来館者を圧倒します。

コレクションでは入ってすぐに「ロゼッタストーン」が出迎えてくれます。「ルイス島のチェス駒」はスコットランドのルイス島で1831年に発見されたもの。セイウチの牙に彫られた表情が見どころです。

次は17:30に予約しているナショナルギャラリーです。日本でも「ナショナルギャラリー展」が以前開催されましたので、見たことがある作品も多いことでしょう。また残念ながらその時に見ることが出来なかった作品もまた数多くありますので、時間を忘れて大いに楽しむことができました。大英博物館と同じくフラッシュをたかなければ写真撮影はOKです。

温暖化の影響か、ロンドンは30℃を超える暑さでしたが、日本のような湿気がなく心地よい夜を迎えています。19:30を過ぎていましたがが、まだ空は青く、トラファルガー広場前より遠方に修繕されたビッグベンを見ることができました。

夕食はガイドブック『地球の歩き方aruco ロンドン』で紹介されている「ロック・アンド・ソール・プレイス」を一応予約して店に行きましたが、大勢の人が店の前で並んで待っていました。何とか地下のテーブルに座ることができ、ビールとフィッシュ&チップスほかで満腹に。食後はロンドンのパブ「シャーロック・ホームズ」を訪ねてみました。卒業旅行の最終日に入った懐かしのお店でしたが、ラストオーダーを過ぎてしまっており、残念ながら写真撮影のみで終了。

ビッグベン近くまで行った時は、夜の22時を過ぎており、きれいな夜空で気持ちの良い風が吹いていました。気持ち良さにまかせ、40分ほど歩いてホテルに辿り着いて、就寝。満喫の1日目が終了。

6月21日(土)の朝は大英博物館前のスターバックスでカプチーノを飲んで、2日目スタートです。昨日は大英博物館、ナショナルギャラリーと重厚な博物館・美術館巡りでしたが、この日はバッキンガム宮殿とリバティが中心で観光少なめでお土産を探す日程に変更。18:05ガトウィック空港発の便でオランダへ向かう予定です。

衛兵の格好にもいろいろな種類があることを掲示物で知ることができました。ヴィクトリア・メモリアルには巨大なヴィクトリア女王像があり、当時の大英帝国の隆盛を象徴しています。セント・ジェームズ・パークの池の周りには物怖じしないカモが立ち上がる姿を見せています。エリザベス女王が亡くなり、チャールズ国王の戴冠式等であらためて知ることとなったザ・マル。その通りには半分位ですがユニオンジャックが掲揚されていました。

ザ・マルから歩いてリバティまで向かう途中に、高級ブランドから超高級ブランドまでが軒を連ねる通りが長く続いていたのは壮観でした。リバティではゆっくり買い物を愉しみ、お土産を購入。セルフリッジスにも寄って、ホテルに戻る前にハンバーガー&ポテトそしてビールで乾杯。ポテトがいつまでもあたたかく、昨夜の大ぶりのポテトより格段に美味かった。料金は3人で13,645円。換算レート1GBPが203.88円と円安のため、割高感があったことが残念。

ホテルで荷物を受け取り、セントパンクラス駅に到着したところ、改札が閉まったままで鉄道の係員が対応に追われていました。どうやらガトウィック空港へ向かう列車が遅延しているようです。近くのキングス・クロス駅からヴィクトリア線で向かうよう案内されました。どうしてまた遅延!!動揺は隠せず、途中切符と領収書を間違えて妻に渡してしまうミスがあったりのバタバタでしたが、ガトウィック空港に到着。シャトルに乗ってノースターミナルから18:05発のイージージェットでアムステルダムスキポール空港に到着したのが現地20:20でした。ロンドンではくれぐれも列車の遅延には気をつけて、余裕を持って計画を立てた方が良さそうです。スキポール空港で日本の「SUICA」のようなOVーchipkaartを27.5ユーロ分購入。1ユーロ174.5円換算で4,798円。

スキポール空港にスーパーがあり、そこで水、お寿司や焼き鳥、カットフルーツそしてハイネケンを購入。バスが丁度あり、乗換なしでホテル近くまで行くことができたのは何よりでした。ホテルはゴッホ美術館そばの「ホテルファンゴッホ」。ホテルの部屋で食事をして威風堂々の2日目が終了。

6月22日(日)は遠出をして「クレラー・ミュラー美術館」の予定です。13:00で予約済。行く前に近くのゴッホ美術館で「美術館共通チケット ミュージアムカールト」を購入する必要があります。9:00の開館を待って無事にミュージアムカールトを購入(1人75ユーロ:1ユーロ174.5円で13,087円)して、アムステルダム中央駅へ向かいました。そこで昨夜購入した「OVーchipkaart」に50ユーロ(8,725円)分をチャージ。キャッシュは使えず、クレジット決済のみでした。合理的なオランダ人はキャッシュレスを徹底しています。

 アムステルダム中央駅で改札でタッチ、ホームにあるもの(乗換用?)でもタッチをしてしまい、列車内の検札でそのミスが明るみに。降車するEde-Wageningen駅ではタッチしないように!とアドバイスを受けました。一見怖そうでしたが、実は優しい女性二人に助けていただきました。

バスを乗り継ぎ、デ・ホーヘ・フェルフェ国立公園内にあるクレラー・ミュラー美術館に到着。ミュージアムカールトを活用。ちなみに日本の佐倉市にあった川村記念美術館は残念ながら都内に縮小移転されることになりましたが、こちらのクレラー・ミュラー美術館をお手本としているようなところでした。

名画の数々を見たあとは、館内のカフェで昼食です。chickenのサンドイッチと赤ワインを美味しくいただきました。帰りもバスを乗り継ぎ、Ede-Wageningen駅からAMS中央駅に到着。夕方なのに、まだまだ昼間のような陽の高さでもあり、アムステルダムの市内観光を可能な限りしてみようということになりました。

アムステルダム中央駅~旧証券取引所前にはカラフルな像のオブジェ~ダム広場、王宮は外壁を修復していました。~ムントタワー~アンネ・フランクの家~マヘレのハネ橋~レンブラントの家と一気に歩きました。

夕食は「地球の歩き方aruco オランダ」で紹介されているお店「ブラウェライ・デ・プレル」でカリカリのチーズコロッケとクラフトビールで乾杯。夕食後ホテルに戻り就寝。充実の3日目が終了。

6月23日(月)は朝から雨が降りそうな雲行き。アムステルダム中央駅で「OVーchipkaart」に50ユーロ分(8,731円)をチャージし、列車で20分、そこから徒歩で15分のところにある風車が見えるザーンセ・スカンスに到着。朝の9時からショップも営業しており、お土産を購入することができました。世界遺産にもなっているキンデルダイクの風車とは異なりますが、強い風をたくさん浴びながら、オランダの国土を堪能することができました。

「神は世界を創ったが、オランダ人はオランダを創った」は成人してオランダで生活していた思想家デカルトの言葉で、司馬遼太郎の『街道をゆく35 オランダ紀行』や最近読んだ『オランダ人のシンプルですごい子育て』でも紹介されています。風を浴びて、風車を眺めながら司馬遼太郎が好きだったオランダにいま来ているのだと、実感できました。

ザーンセ・スカンスからライデン経由でデルフトに到着したのは、午前11時頃。フェルメールの生まれ故郷でもあるこの町を散策しました。デルフトの眺望を描いたといわれる場所~市庁舎&新教会~フェルメールセンターや小路に描かれた場所などひと巡り。

デルフトから列車でデンハーグにあるマウリッツハイス美術館に向かいました。14:00に予約していましたので、美術館そばのカフェレストランでサンドイッチと白ワインで昼食を済ませました。

マウリッツハイス美術館は17世紀に建てられた旧伯爵邸で、優雅な内装の部屋を巡りながらオランダの至宝を堪能できることが特長の美術館です。ミュージアムカールトを使用。

デンハーグにはエッシャー美術館もありましたが、月曜日で残念ながら休館。

デンハーグからアムステルダム中央駅経由で一度ホテルに戻り、ひと休みした後に、アムステルダム中央駅の北方面を散策してみることにしました。新しい建物が多い北側にユニークなデザインの橋がありました。

アムステルダム中央駅に辿り着いて、駅周辺でイタリアンの店で夕食。久しぶりのパスタとピザそしてワインを白&赤。食後に駅周辺の夜景を楽しみました。時刻は22:50です。オランダの夜はとにかくなが~いのです。夜空がフェルメールの青のように見えるのは僕だけでしょうか。堪能の4日目が終了。

6月24日(火)旅の最終日の朝を迎えました。娘が近くのミュージアム広場にあるスーパーを探し、そこでお土産のお菓子やシャブリも1本自宅用に購入。空港と比べてリーズナブルですので、おすすめです。ホテルに戻り荷物をまとめて、チェックアウト。9:30に予約したゴッホ美術館に向かいました。

日本でも今年の夏から来年にかけて「ゴッホ展」「大ゴッホ展」の開催が予定されています。そのため、名画のいくつかが既に運搬されているのでは、と妻は心配していましたが、はたして・・・。

ミュージアムカールトを活用し、ゴッホ美術館は新館から入場します。とても明るく開放感のある美術館という印象です。

妻の心配は杞憂だったようで、多くの名画を見ることができて、娘ともども大満足のひととき。ミュージアムショップでもその余韻に浸りながら、グッズの数々を購入していました。

ゴッホ美術館から歩いてすぐのところにアムステルダム国立美術館があります。11:30から予約しており、ミュージアムカールトをラスト5回目の使用となります。(購入のみの最初のゴッホ美術館はその時に1回利用?)ミュージアムカールトは31日間で5回まで指定された美術館に入れますので、おすすめです。

アムステルダム国立美術館は中央駅と同じ人の設計で歴史を感じさせる建物です。17世紀のオランダ黄金時代のレンブラントとフェルメールの傑作や国宝級の展示品は見応えがあります。

司馬遼太郎は『街道をゆく35 オランダ紀行』でレンブラントについて多く触れています。その代表作の「夜警」は大がかりな修復時期でした。超国宝級の存在感です。オランダの稼ぎ頭はゴッホ。そしてレンブラントとフェルメール。彼らはいまも莫大な外貨を稼いでいる存在なのです。

見逃していたシンゲル花市を最後に散策して観光を終え、スキポール空港へバスで向かいました。僕と娘と二人のグーグルマップで案内されたスキポール空港のバス停がターミナルのひとつ先とは。遅延ではなく、今度は乗り越してしまったことはご愛嬌。

スキポール空港に何とか到着。「OVーchipkaart」の払い戻しをする必要があります。払い戻しの条件はそれぞれカード残額を30ユーロ未満にしておかないと払い戻しができない、という情報がネットでありました。この30ユーロ未満にすることが大変。僕はトラムで降りる時に一度ミスをしでかしているため、妻や娘より4ユーロ少ない残額でしたので、空港到着時点で27.22ユーロとクリア。二人はその時点で30ユーロを超えていました。空港からバスを1区間往復し、それぞれ残額を23.06ユーロにしてようやく達成。スキポール空港国内便カウンターで依頼し、クレジットカードに1ユーロ175.632円換算で払い戻しをしていただきました。18:20発のトルコ航空に乗り、イスタンブール空港には現地22:55着。現地6月25日(水)2:00イスタンブール空港発で日本時間19:20羽田空港に無事帰国。

【旅の記録 後記】帰国してから3週間ほど経ちますが、オランダについて振り返り。オランダには信号がとても少なく、歩行者優先を徹底していることに驚かされました。また自転車専用レーンや駐輪場が整備されている自転車大国でもあります。自転車でかなりのスピードを出していることもままありましたので、旅行者はクルマはもちろんのこと自転車にも注意が必要です。交通事故をゼロにする「ビジョン・ゼロ」という目標を持ち、安全で快適な社会の実現をオランダは目指しています。

繰り返しになりますが、「オランダ人はオランダという国を創った」という言葉は、創った国土の上に社会的信念を確立することに対してひたむきであることも意味しています。それは時代とともに変化する社会に対して、何を優先すべきかを考えていく国民性がある限り、オランダは決して停滞しない若々しい国家という印象を持ちました。

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